漫画『やがて君になる』に救われた

 

※『やがて君になる』8巻の重大なネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください。

 

 

 

 

 


ついに『やが君』の最終巻が出ましたので(気持ちとしては「最終巻が出てしまった」という感じなのですが、それはともかく)、秋葉原アニメイトへ走って手に入れてきました。


最終巻を読み終えて、まずこの作品全体について、"女同士"ではなく"人間同士"の感情と関係のお話だったなぁとしみじみ思うわけです。

小糸侑と七海燈子は最終的には恋愛関係に落ち着きました。が、たまたま相手が同性だったというだけで、少なくとも私にとって、単なる同性愛(百合)のお話ではありませんでした。


この作品は、登場人物の誰かに自分を重ねて読むことができます。

「好き」がわからない小糸侑、変わることを恐れる七海燈子、伝えることが許されない想いを抱える佐伯沙弥香、そして傍観者の槙くん。


『やが君』は、高校生たちの群像劇であり、各登場人物がそれぞれに幸福を掴む、"みんながハッピーエンド"のストーリーでした。

燈子と侑が結ばれたことで沙弥香が犠牲になったという見方もあるでしょうが、そうではありません。

彼女は燈子への想いを打ち明け、燈子はそれと真剣に向き合った上で、自分の気持ちに答えを出しました。想いは届いたし、受け入れられました。それが沙弥香の願う形でなかったとしても。燈子を思い続けた彼女は報われたのだと思います。

だからこそ、進学先で人生の次のステップへと進み、今の恋人を"選ぶ"ことができたのでしょう。


私ははじめ、小糸侑に感情移入するタイプの読者でした。

恋愛的な意味での「好き」がよくわからない。友人やペットへの「好き」はわかるけど、それ以上の特別な感情は依存と区別がつかなかった。

しかし読み進めていくと、七海燈子が自分と重なって見えるようになりました。

自分を好きになる人はいずれ変わってしまい、そばから離れていく。自分に興味がない人はきっと変わらない距離でそこにいてくれるから、そういう人と一緒にいる時間の方が、気楽で好きでした。


『やが君』が教えてくれたことは、人を好きになるということは誰かを選ぶということ。"特別"はある日突然降ってくるものではなく、自ら選んだ誰かを、特別な存在に変えていく必要があるということ。

"特別"は、Aさんの○○なところが好き、○○でなくなったら嫌い、なんて単純なものではありません。

侑が燈子のことを好きになっても、燈子は彼女の「優しいところ」が好きだと言いました。大切なのは、変わっていくその人を受け入れること。そして自分も変わること。変化していくお互いを、それでも好きだと言えること。

「好き」や「特別」が、どんな感情で、どんな形をしているかは些細なことです。

冒頭で述べましたが、この物語は"人間同士"の関係のお話でした。私は私のすべての"特別な関係"に、自分の中だけでは名前を付けずに、 Love の中身がよくわからないまま、それでも私はこの人を選んだのだという自信だけ持って、『やがて君になる』が完結してしまったこの世界を生きていきたいと思います。

 

 

それでは。

 

 

(やが君、どうして完結してしまったの・・・)